重ねた手のひらの熱さとか



正直、反則だと思ったのです。




た な ご こ ろ





それは、自分が好きで始めたはずの習慣が
なぜか自分を追い詰めていると確信した日の、ことだった。




「あっれ、赤井、今日は行かないん?」


五十嵐とは結構仲がよくて、だから彼は私が毎週水曜日になると
早く帰るその理由を、知っていた。
私が部活に入っているわけでもないのに先生たちが褒めてくる理由も。



私は中学生であると同時にもうひとつの顔も持っていたから。
小さな頃から始めたヴァイオリン。
さすがに中学生にはこういうのは興味ないのかもしれないけれど
ちょっとした有名人になりかけている私。
五十嵐はそれを知っていたけれど、やっぱり興味はないらしくて普通に接してくれていた。



「ん、今日はちょっとね」


曖昧な返事を返すと五十嵐はふぅん、と興味なさそうに。
ねえあなたは、疑問を感じない?自分の選んできたすべてに。
けれど野球をする彼の表情は、いつだって変わらず満足げだった。





次の週の放課後も、私は水曜日だというのにゆっくりと鞄の中身を
何度目だか数えながら整理していた。
下校する生徒と、部活に行く生徒が収まってからこっそりと帰るつもりだった。
教師に見咎められることはなんだか避けたかった。
自分のことなのに、社会的なとかが頭につくような理由で私に干渉されるのは
正直やめて欲しかったから。



私がヴァイオリンのレッスンに行かなくなって2週間目。
レッスンを放り出してからは半週分加算される。


次第に人が減って、明日のために準備を始める教室を
私は少しだけ不安な気持ちで見つめていた。
後ろめたいなら、それを消すためにレッスンに行けばいい。
けれどそれをしないのは、愛情が冷めてしまったからだろうか?



持っている時には気付かない、自分の捨てようとしているものの大きさは
失くしたあとの穴の大きさを持ってその存在を私に知らしめていた。


嫌いなわけじゃない。
けれどそれだけを自分の価値として生きていくこれからの未来が疎ましかった。
周りのみんなはまだ真っ白で、1年先の事すら分からないかもしれないというのに。


「まだ帰らんの?」



「五十嵐・・・」



「部活は?」と聞くと、「お前と同じようなもん」と返された。



「ね、五十嵐」


仕方がないから私は彼に話しかけた。
仕方がないから、だけじゃなくて、聞きたかったこと。


「五十嵐はいつから野球が好き?」



私が聞くと、彼は変な顔をして私を見つめた。
どうして?そういう顔で。



「そうだな、ずーっとかな」
「答えてないよ、それ」
「そうかもな。でも」



五十嵐は何か言いかけたところで一瞬止まって。
腕を掴まれた。


「な、なに」
「いーから」



連れていかれたのは、恐ろしいほどたくさんの部員の汗が充満する場所だった。
この学校にはそりゃもう、3年間1度も試合に出られない生徒がほとんどという位にたくさんの部員がいる。
ここはその中でも、新入生ではなく一応先生の作ったメニューが渡されている位の部員の場所らしかった。



「俺もな、ここで素振りしかさせてもらえなかった頃もあって」
「五十嵐が?」
「当たり前」
「そっか」
「でもな、今に負けないくらい楽しかった」
「部活、好きなんだね」



「お前は?」



不意に私に振られて、私は正直焦った。
私は彼の前でヴァイオリンが好きだと言う資格が(そんなもの初めからないんだろうけど)ないような気がしたから。
だって私が始めたのは、私が私であることを知るよりも前だったから。



「好きじゃないなら、やめたらいいよ」


真剣な顔をして、五十嵐はそう言った。



「本気でもないのに続けて、自分頑張ってるとか、そういうの、むかつくし」
「そういうんじゃ、ない」
「お前だったら多少気まぐれ起こしたって、戻ればすぐまた元通り。けどな、ウチはそんなに甘くないよ」
「そんなつもりじゃない」
「うまくなることだけだったらある程度誰だってなれる。けどな、そっから先はそいつの心次第。お前だって、世界一になったわけでもないのにもうヴァイオリンは飽きた?そんならやめたらいいよ。向こうから願い下げ」



眩暈がした。
五十嵐の言葉とか、この場所で汗を流してる人たちとかそういうのみんなが
私の脳から酸素を奪っていくようで。


けど、それでも気分は悪くなかった。
だって、分かったから。



「なに言ってんのよ!私がいつ嫌いって言ったの!?あんたが幼稚園でぼけっとしてた時からずっとずっと一緒だったんだから!好きに決まってんでしょ!」



張り詰めた弦を宥めるように撫で、音を生む瞬間。
言葉よりも正確に心を伝えることができた時の気持ち。
それは今目の前で同じ動作を続ける彼らよりも、私の身体に染み込んだ幸福感。


怒鳴ってからふと我に帰ると、痛いくらいの視線が私に集まっていた。
気付くとそこにいた誰もが私をぽかんとした顔で見つめていた。



「お前ら、痴話喧嘩なら他所でやれ!」


「!」


どこからか飛んできた罵声に、瞬間的に顔が熱くなった。
さっきの私の叫びは思いっきり勘違いされているらしい。
慌てて五十嵐の方を見ると・・・思いっきり笑っていた。しかもお腹を抑えて。


「すんません、こいつ連れてきますから」



まだ笑いながら五十嵐は私の手を再び引いて校門の方へと歩いた。






「今から行くよな?」


あらかたの生徒が下校したあとの校門は誰もいなくて
いつも誰より先にこの校門を帰る時と変わらず静かだった。



「うん」


私が悩んでいたのはレッスンが嫌いだからじゃなくて好きと思う自分の心が
鳥の雛のすり込みみたいに本物じゃないかもしれないと疑ったから。
けれど今はハッキリしている。だから。


「ごめんね五十嵐も。私のせいで部活」


「そんなの。野球と同じくらい好きな赤井のためだし」



「・・・はあ!?」
「・・・お前、楽器やってる分もう少し敏感にならんと・・・」
「なっ、それとこれとは別よ!」
「まあまあ、今日の所は返事は保留にしとくから、早く行ってきな」



「・・ありがと」



なぜだか告白(だよな今のは)までされて、私の恩人五十嵐はやけに男っぽく見えました。
そういえばこの人のこと今までそういう風に見てなかったなとか思い出して
ちょっとだけすまないと思った。これからちょっとはそういう風に見て見ようかなと。
そう思いながら、私は校門をまたぎ・・・



「ああっ!鞄、教室!」
「なにーっ!」



突然のことで、私の極限まで整理された機能的な鞄は教室に置き去りにされていたのでした。
それはもちろん五十嵐の鞄も一緒で。



「早くとりに行くぞ」
「急がなきゃ怒られる!」



その時当然のように重ねられた五十嵐の手のひらは、心なしか熱かった。
その熱さはとても男の子、という感じがして、反則だと思った。
保留にされた答は、近いうちに返さなきゃ、と思いながら、私は繋いだ手に少しだけ力を入れた。




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